念 ―祈り
宗祖法然上人800年大遠忌慶讃事業として着工することが決まっていた新念仏堂は、法然上人の教えを後世に伝え、信徒が集まって念仏を唱える場として計画されました。おりしも計画初期段階において、東日本大震災が発生し、この場所の「念」には随所に深い祈りがこめられるようになりました。
深い祈りを込める御堂建築を考えるに当たり、古式豊かな艶やかなる技法による寺院に憬れる一方で、「寺院とは何か」という、僧侶としてお寺を護持していく上で一生の命題となるであろう疑問に突き当たりました。
回答が一つでないことはもちろんですが、寺院は少しでも極楽浄土を垣間見る空間、行き交う人々がふっと心を落ち着ける空間、雑念から解き放たれ自分自身を顧みる空間でありたいと考えました。東京という地において、ビルの谷間の限られた敷地を使い、これらの願いを具現化しようとするためには、やはり釈尊の教えに基づかなければならないでしょう。
新念仏堂の建築に当たっても、大きな柱に浄土三部経の一つである『観無量寿経』(以下『観経』という)を置きました。『観経』には「仏や浄土の観想」と「浄土往生の為の様々な行業と往生の仕方」に大別される十六の観法が説かれており、極楽浄土を観想しようとする寺院建築に正しく当てはまると考えたからです。
その「仏や浄土の観想」、特に「浄土の観想」は、十六の観法のうち最初の七つの観からなります。
第一観 日想観 …… 太陽の日没時の観想。
第二観 水想観 …… 水から氷、瑠璃への観想。
第三観 宝地観 …… 地の観想
(ここまでで、「ほぼ極楽国の地を見る」と名付けられています。)
第四観 宝樹観 …… 樹の観想。
第五観 宝池観 …… 八種の功徳のある水の観想。
第六観 宝楼観 …… 総合的な観想。
(ここまでで、「ほぼ極楽世界の宝樹宝地宝池を見る」と名付けられ、ひとまず極楽世界の情景の観想が完成されています。)
第七観 華座観 …… 以降の第八観以降に仏菩薩の観想を説く上での導線。
この七つの観法をキーワードに、念仏堂の各フロアーを見てみたいと思います。
日想観
花塚
明暦3年(1657年3月)に、江戸時代最大といわれる明暦の大火(振袖火事)により、10万人以上の尊い人命が奪われました。
この災害により亡くなられた無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと、「万人塚」という墳墓が設けられ、無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要が執り行われました。このときお念仏を行じる御堂が建てられましたが、これが回向院の歴史の始まりです。回向院の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」として現在までも守られています。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、355年前に発生した明暦の大火を想起させるかのごとく、突如として多くの人々の命が奪われ、身元や身寄りの分からない方が現在でも沢山いらっしゃいます。新念仏堂の屋上には、創建当初の万人塚をモチーフにした花塚が竹林の中に設けられ、多くの無縁仏の魂を鎮め、祈りをささげる場になっています。
こうした花塚には、庭園の西側にあり、「日想観」を想起させる造りを意識しました。
「日想観」は、すべての観想に通じる基本的な修行として、日没を観じ正しく西方に向かって観想することが説かれています。春秋の彼岸の中日における日没の方向を知り、この観想によって己の罪業を知り、極楽浄土に満ち満ちている光明がいかに明るく輝いているかを推量してください。
日没の太陽の清浄な荘厳さの観想により、罪悪にまみれた凡夫の卑小さに対する極楽世界の超越性が感じられるでしょう。無縁仏に祈りを奉げる中で、生命の尊さを改めて感じ、生きる力を頂いて、一日一日を大事に生活していきたいと思います。
水色の花はネモフィラで、花言葉は「清々しい心」「私はあなたを許す」です。
庭園のデザインはランドスケープデザイン田嶋豊氏にお願いしました、正面の仏像は仏師村上清氏の作です。
水想観 宝地観
祈りの間
2階は、千住博画伯による「浄土の滝」が描かれた襖で囲まれています。アメリカの平成13年9月11日に起きた同時多発テロ事件の被災地であるグラウンド・ゼロには、悲しみを浄化する滝がしつらえられていますが、本堂においては千住画伯の滝が心を浄化してくれます。
「水想観」では、極楽浄土の大地が限りなく拡がる水平の様相を持っていることを推量し、次に氷想によって固く透明である大地の様相を推量します。水の入れ物を身体とすれば、中の水は対象を移して揺れ動く心、物を投じて生ずる波は乱想の煩悩、波が次第におさまって静止することは精神統一に努めて心が一所に集中してゆくことが説かれます。水から氷、瑠璃の観想へと進むのが水想観ですが、『観経』で瑠璃は極楽の大地をさします。この水想観を持続させることで三昧状態に至ることが宝地観です。「宝地観」の終わりには、八十億劫の間生死を繰り返す罪が除かれ、この身を捨てて来生に必ず浄土に生まれると記されておりますが、畳に座り、静かにじっくり襖を見ていると、この「浄土の滝」と外回廊に見える竹林とがあいまって、あらゆる苦しみ・悲しみ・罪が滅せられ、心穏やかに極楽浄土の地に居るかの錯覚が感じ、極楽の大地の片鱗が観想されることでしょう。
祈りの間は千住画伯の襖により、4つの部屋に仕切ることができます。
西側の床の間がある部屋には、炉も切られており、本格的な茶室としても使用できます。
宝樹観 宝池観
念仏回廊
都心に近接し、ビルの高層化が進みつつある両国において、お寺の境内は、貴重なオアシスともいえるでしょう。しかし、境内地も戦前と比べれば小さくなり、一般に公開する庭園と呼べるようなスペースもなく、都会のオアシスとして機能するためにも緑豊かな庭園スペースが必要であると考えていました。
また念仏堂としての設えとしても、念仏を唱える心構えとして法然上人が「一枚起請文」において三心をあげられたように、念仏を唱える環境として、俗世を引きずることなく、すんなり無心無我となれる心を落ち着かせる環境が必要であると思い、建築家の河原泰先生に相談したところ、参道の竹と連続するような竹林庭園を設けることをご提案いただきました。しかも、地面と接するところは、境内地としての広がりが必要なので、上空に浮遊する空中の竹林庭園にするという提案であったため、庭園が地面と切り離されていることによって、より俗世とは切り離された心落ち着く場となるのではないかと考えました。
建物の2・3階には、この竹林の中を通り抜けるように回廊が巡っています。この回廊は念仏回廊と称し、歩きながらでも念仏を唱えられる場所です。河原先生の案は、スワロフスキーの念珠が竹とともに林立する空中庭園です。数珠と同様に1本につき108珠あり、50本以上あるため、この回廊の念珠の数だけ念仏を唱えながら2階から3階にかけてぐるっと巡れば、1万遍の念仏を唱えられることとなります。1本ごとに親玉が1つあり、その中には回向院にいらっしゃる様々な尊像が描かれています。
「宝樹観」によると、宝樹は完全無欠な清浄を保っており、阿弥陀仏が国土厳飾の本願を成就した時に同時に存在したものとされ、育ったり枯れたりするものではなく、樹の一部一部の観想から天童子や光明まで逐次観じて明瞭ならしめるとされています。極楽浄土にある七宝からなる樹のことを、七重宝樹と言いますが、スワロフスキーの念珠が外光に照らされて光る様々な色の輝きは、まさに七宝と重なるのではと思います。
また、八つの功徳をもった水を湛えている宝池を想う「宝池観」では、池には煩悩を滅し尽くした姿を現す金剛石がひかれ、諸仏が説き給うあらゆる教法を説く水音や百宝色の鳥を想うとされます。二階の回廊から見られる「浄土の滝」と相まって、水音や鳥のさえずりが聞こえてきても不思議ではないように思えます。