【結縁交名による一光三尊阿弥陀如来像】
善光寺の御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれます。一つの光背の中に、阿弥陀如来・観音菩薩・大勢至菩薩の三体の尊像がいらっしゃり、こうした形式の阿弥陀三尊像は、善光寺式阿弥陀三尊像と称され、各地に模造されています。
回向院にも古くからこの善光寺式阿弥陀三尊像が存します。江戸初期に彫像されたものと推察されますが、現在では市川別院に安置されています。今回、念仏堂が新たに建築されるに当たり、念仏堂の本尊として、この市川別院の善光寺式阿弥陀三尊像を少し小さく模造した尊像が作られました。この尊像は仏師村上清師による彫像ですが、さらにこの像より型をとって同型同形式の善光寺式阿弥陀三尊像が七体鋳造されました。出開帳に訪れた方々に署名頂いた結縁交名帳を台座に納め、被災各地の以下七ヵ寺へと届けられます。
(1) 岩手県大槌町大念寺
(2) 岩手県大船渡市西光寺
(3) 岩手県陸前高田市荘厳寺
(4) 宮城県気仙沼市浄念寺
(5) 宮城県石巻市無量壽庵
(6) 宮城県仙台市照徳寺
(7) 福島県いわき市専称寺
回向院本堂にいらっしゃる阿弥陀如来坐像は、明暦の大火の十七回忌の折に、大火で亡くなった十万人を超える被災者の追善回向の為に建立されましたが、その後も多くの方が様々な想いを持って、無縁仏の供養にこの阿弥陀如来坐像の前に訪れ、想いを伝えたと云われます。被災地で亡くなった方々を想い、それぞれの地においてお手を合わせ頂き、御仏の慈悲の光が隅々までいきわたりますよう願っています。
大槌町大念寺(※安置先1)
【左下】お届けした仏像と開眼の証。出開帳開闢法要の後、善光寺の浄土宗・天台宗両宗の大僧正台下により開眼された。
【右下】大念寺山門前に建立された「津波到達の地」碑。大槌町では、先の震災により住民の一割相当(約1,300名)が尊い命を失い、その中には大念寺の檀家約230名がいた。門前まで津波と火が押し寄せた。
大船渡市西光寺にお届けする仏像を、ひと足先に仮設住宅にてお披露目。近いとはいえ交通手段を持たない方や目の不自由な方もおり、なかなか西光寺へと伺えないので、この機会に仏像にゆっくり直に触れてお参り頂いた。
大船渡市西光寺(※安置先2)
被災による引き取り手のないご遺骨の中心に仏像を納める。
陸前高田市浄土寺
陸前高田市荘厳寺(※安置先3)
陸前高田市金剛寺
【左下】左手奥に本堂と新築間もない庫裏があった。手前に倒れる石塔には成田山の文字が。かつての本堂に向かい、皆で読経する。
【右下】金剛寺にて「先祖になる」佐藤さんらと偶然にも再会。
気仙沼市浄念寺(※安置先4)
石巻市無量壽庵(※安置先5)
石巻市西光寺
西光寺も境内まで津波に襲われ、隣の敷地はすべて流されている。ちょっとした地形の違いでしかないのだが、その恐怖は想像もつかない。
墓から流されて塩水にまみれてしまった遺骨を遺族と共に丁寧に洗い乾かし骨壺に入れてあげていた。
浄土真宗称法寺
西光寺とは目と鼻の先であるにもかかわらず、被害は甚大。立派な本堂が柱を残して全て流されていた。
何ともやるせない。亡くなられた方々がお浄土にいき、全ての苦しみから解放され、無上の幸せを享受されていることを切に願う。
仙台市照徳寺(※安置先6)
いわき市九品寺、いわき市専称寺(※安置先7)
読経後、専称寺に移動。かつての浄土宗名越派の惣本山であり、建替えの為に骨組みだけであったが立派な佇まい。梅の名所で知られ、山の上に位置する。(【右下】)